12/6 明日のさいたま遠征を楽しみにしながら布団に入る。

しかし昼寝が祟ってしまい寝れない。大好きな睡魔にこの思いが届かずメンヘラになりかけたが、なんとか3時30分には寝た。このときすでに集合時間は9時から10時に変更しておいた。

12/7 8時。加藤恵が僕のことを起こしてくる。僕はそっと画面をタッチし、スヌーズ機能を使い、セリフのパターンを楽しんだ。

加藤恵が「起きないと遅刻しちゃうよ〜」なんて可愛く注意してくれたが、集合時間を変更し続ければ遅刻というものは無いんだよ。と優しく教えてあげて、その後やっぱり寝た。我ながら気持ち悪いと思う。

8時55分

事の重大さに気づく。なんと石井達也くんから「寝てるでしょ。」とラインが来ていた。加藤恵に比べて可愛げが無さ過ぎて現実世界の厳しさに悲しくなりつつも、仕方なく起きた。集合時間は11時に変更し、私は渋々笹目橋へ向かう準備を進めた。しかし、ファンヒーターの前で丸まっていたらあっというまに10時。到着は11時30分になるであろうと、ラインを送信し、出発。

いつも通り向かい風の環八でインターバル練習を余儀なくされ、脚とメンタルをボロボロにされつつも11時40分に笹目橋に到着。そこにはサイクリング班OBの牧内拓也さんと、なんの変哲もない石井達也くんがいたのである。私は彼らに挨拶を済ませ、いつも通りLチキレッドと飲み物を購入した。店員さんも特に変わりはなく、元気な姿を僕にみしてくれた。人間元気が一番である。

私がモグモグとLチキレッドを食べたあと、とりあえず彩湖へ向かった。彩湖では何もせず、荒サイを北上し物見山へ向かうことに。

なんとなく環八から察していたが、なかなかの向かい風。サイクリングと称していたが、この向かい風のなか37km/hで走るのは普通に練習なのでは?と疑念が生じた。しかし、特に誰も文句を言わないので石井達也くんと私でローテーションを組んで走りつづけた。このとき、私は「きっと帰りは追い風でとてつもない速度で帰れるのであろう」と期待を寄せていた。この後に待ち受ける残酷な運命も知らずに…。

ちなみに牧内拓也さんは最後尾を守り続け、前を引く気のない声出しおじさんと化していた。

荒サイを抜けローソンで補給。今日はクソ寒い日と分かりつつも牧内拓也さんは「アイスなら奢るよ(笑)」と仰った。私はここで、「寒いからいらないっす!」と言ったら負けた気がするので、身体が冷えることを覚悟し、少し高いピノを奢ってもらった。甘くて美味しかったが、ただただサムくなった。きっと温かい部屋で毛布に包まりながら食べたらさぞかし美味しかったのであろう。

その後ふざけてモガいたりしつつ、物見山へ到着。公衆トイレとただの坂がそこにはあった。もう少し登るものだと思っていたが、環八と向かい風で疲れていた私にはちょうど良かった。その後小周回を一周し帰路へ。

来た道を少し走り私は気づいてしまった。暖かくなり風向きが変わってしまったのである。そう、向かい風だ。

私は生きる意味を見失い、「もう死にたい」って心のなかでそっとつぶやいた。しかしなんだかんだ先程と変わらない速度でしっかり走り続けてしまうのが、私達の悪いところである。眼を点にし、思考を停止し、何も感じないようにし、ハプニングがありつつも彩湖までなんとか辿りついた。声出しおじさんも少しだけひいてくれた。

ちなみにハプニングとは私が気が向いたときにモガイた際に毎回のように携帯ポンプがポケットから射出してしまうことである。じつにくだらないハプニングだ。

その後笹目橋から牧内拓也さんが使う裏道を走り、環七あたりで牧内拓也に別れを告げ、井荻駅に付くことができた。もちろん笹目橋から石井達也くんもついてきていた。駄々をコネながらついてくる姿にはさすがにほくそ笑んだ。やはり2度あることは3度あるのである。しかし今日は石井達也くんはなかなか前を引いてくれたし少し同情した。コンビニでくだらない話をかました後別れを告げた。

その後1人寂しく空腹と疲労に耐えながら帰宅した。単独での帰路に入ると寂しさと帰りたさから踏んでしまうのも、私の悪い癖だ。

今日は160km程度の走行距離であったが、疲労感がいつもの埼玉遠征の倍以上に感じた。おそらく向かい風と寒さと補給不足であると考えられる。やはり冬は嫌いだ。

先週埼玉は楽しいところだなどと言っていたが、今回の向かい風で嫌いになった。しかし私は懲りずに埼玉に行くであろう。まだ見ぬネタを求めて。